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Beobachtung und Dialog als Akt des Dichtens. Uber E.T.A. Hoffmanns Des Vetters Eckfenster (studies dedicated to professor emeritus Tetsuo Tsubaki)

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-23- 人文研究 大阪市立大学文学部紀要 第52巻 第3分冊 2000年23貢~37貢 創作としての観察と対話 -『いとこのコーナー窓』試論 - 木 野 光 司 序 ホフマン (E.T.A.Hoffmann,1776.1.24-1822.6.25)が死の床で紡ぎだし た短編 『いとこのコーナー窓Jl(DesVettersEckfenster,1822:以下 『コー ナー窓』と略記)は,ホフマンの創作技法および創作一般の可能性に関わる 興味深い示唆を与えてくれる。1 この作品の状況設定および筋の展開は非常 に簡明である。- 舞台は1822年春のベルリン。語り手である 「私」(Ich) が久しぶりにジャンダルメン広場に住む 「いとこ」(Vetter)のマンション に招じ入れられる。いとこは流行作家であるが,病気のため手足が麻捧 し, 厭世観にとらわれてしばらく人を寄せつけなかったのである。そのいとこが いち コーナー窓から見える市の情景を 「私」に示し,作家に必要な,ものの見方 の実践的講義をおこなう。その講義の材料は広場を動 く人々であり,講義の 内容は人物に関する観相学的な推論である。およそ10組の人物についての観いち 察や説明がなされた頃に市が終わり,いとこがささやかな昼食に向かうとこ ろで話は閉じられる。- 2 このように単純な筋の運びにもかかわらず,ヴィンクラー版25貢からなる 短編はホフマン最晩年の佳作として高い評価を得てきた。しかもその評価の 観点は多岐にわたっている。そこでまず第1章において,『コーナー窓』に 関してなされてきた諸考察の主な観点を紹介し,第 2章において,これまで 指摘されてこなかった観点からこの短編の考察を試みる。 (1031) - 24- 1 『いとこのコーナー窓j評価の諸観点 (1)伝記的観点 ホフマンに関する最初の伝記 『E.T.A.ホフマンの生涯と遺作』(E.T.A. HoffmannsLebenundNachlass,1823)を著した友人の J.E.ヒツイヒは, 『コーナー窓』を伝記的視点から評価して次のように述べている。 「ところで,ホフマンが最後の数ヶ月に口述筆記した作品は,まず 『ヴァ- ト親方』(MeisterWacht),次いで 『いとこのコーナー窓J),さらに 『快癒』 (DieGenesung)そして最後に,この作品の口述の最中に死んだともいえる 『敵』(DerFeind)という断章である。これらの作品自体が,この作者の精 神力を語っていると言えよう。」3 伝記的視点から見た場合,『コーナー窓』で描かれる 「いとこ」 は明らか に同じ病状を呈するホフマンその人であり,彼を訪ねる 「私」は小学校時代 からの友人ヒベルを思わせる。4最終的にホフマンは,脊髄神経がやられる 「脊髄ろう」(RGckenmarksdarre)という病の悪化によって死ぬことになる が,その晩年には伝記的に興味深い逸話が多い。たとえば,ヒツイヒがホフ マン最後の誕生祝いの場で 「生は人間の最高の宝にあらず。」(DasLeben istderGaterh6chstesnicht.)という趣旨の見解を述べた時,ホフマンが 異常に興奮して,「違う,違う。いかなる条件下でも生きることこそが大事 なんだ !」(Nein,nein,leben,nurleben,- unterwelcherBedingung esauchseinm6ge!)と主張したという話がある.5 この言葉は次に挙げる 逸話と考えあわせると興味深い。すなわちホフマンはその死の一月前に,蘇 挿した神経を延らせる最後の試みとして鉄製の焼き鐘を背中にあてる荒療袷 を受けている。ヒツイヒは仕事を片づけ,その荒療治の半時間後にホフマン を見舞った。するとホフマンは,訪れたヒツイヒに向かって,「焼き肉の匂 いが残っていないかい?」(RiechenSienichtnochdenBratengeruch?) と問いかけてきたというのである。6 これらの逸話と同様な性質のものとし て 『コーナー窓』の記述を読むことも可能である。 ベッド脇に貼られた 「たとえ今が悪かろうとも,いっの日にかそうでない 時も訪れよう!」(Etsimalenunc,nonolim sicerit!)というホラティ ウスの言葉は,現実にホフマンがベッド脇にこの言葉を記した紙を貼 ってい (1032) 創作としての観察と対話 -25- たか否かは別として,上の逸話と同様にホフマンその人の信条をよく示すも のであると言える。7 また作中で語られるいとこの病状 もホフマンが現実に・ 経験していたものと推測される。しかし 『コーナー窓』がやはり

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