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宇野弘蔵著 「資本論」と社会主義

Authors
Publisher
慶應義塾経済学会
Publication Date

Abstract

宇野弘蔵著 「資本論」と社会主義 者から讽立して、失 ^^ のうちに新しい加入者を攫得するの. に成功 したばかりか、ナチス. の勝利がほとんど万人に認められたように見 えた時でずら、共産党は .、ナチ独裁の不可避的崩壊の直後に、 : 自分 たちの勝利が来ることが遮命づけられていると主張し続けた 」 へ 一 六 一T 一 六 三 頁 ) 。そのために T 共産党の政策の不可避的な帰結は、 ドィッの一, 一つの ^ 働者政党間の溝が拡大したことであり、 ' 共通の敵 に対する共同防衛が実際上不可能となったのである 」 ( 一六四頁 〕 。 政権掌掘のチャンスが与えられていた社会民、 3£党は、依然としてプ レ ■/シ , ュァ .グループ的思考様式から脱しえなかっ .た反面、ドィッ 共産党は、ナチスの力を過少評偭し、ナチスの崩壊は、時間の問題 であるかのように錯覚していたという辦実を指摘しているのは芷し、+ C . 以上において、邦訳第一巻の内容をなしている原著の前半につい て、 ■とくに .ドィッ社会民主党を中心とする. ョーロッパ労働運節の失 敗の原因に関する著者の理論的な把振に ついて 筆者は簡単な考察を 試みた。前半だけしか紹介する余裕がないのは残念であるが、著者 の理論的な特興性がもっ ともよくにじみ出ているの ft、主として贫 半であると思えば、その意味では、 この 書評も何程か、 EI 的を達し えた ものと 考える。そこで最後に、 この 著者自身の立場について、 若千、感想を の .ベてみたいと思う。 蒸者シュトゥルム タ ー ルは、現在ア メリ 力のバ I ド大学教授であ る。一九三八年アメ, リカに亡命するまでは、ヨーロッパ国際労働運 : 六 .八 ( 五五 6 ) 動め渦中に活躍した第: 一線のジ V '丨ナリストらしく、叙逮の方法や . 理論的な把握 は 、# よ り も公式主義的な解釈を排除して 、 あくまで 客観的になろうとしている努力, がみなぎっており、これが、- その独 特の理論と相まってわれわれの心を .とらえる。マルクス主義の立場 -に立つ労働運動史の叙述が、と ..もすればおちいりがちな左翼公式、 王 義に対して、 . 本書が深い反省をせま っているこ, とは、■ 何人も認めな いわけに 'は ゆかないであろう。この点、邦訳表神川、 / 神谷両氏が本 書に、 ;され、 . すぐれた訳文をもっ て、 われわれに紹介して, 下さっ ' た努力にたいして # 1 ;を表する .も 0 で .ある。し .か .し讓者が、こ .の # を読んで、もっとも強く感じたことは、著者が、この時期のョ ー 口 ッパ労働運動の "悲劇性 ", を強調するあまり、 ' 一 種の宿命感. におち いっているような印象をうけたことであった。社会民主主義政党と してもっとも古い .歴史を諮る社会民主党と、もっ• とも強力な共産党 とをもつドィッの労働者階級の遮動が、なんら見るべき組織的抵抗 . もなしにチチスの軍門に下ったというぞの歴史的な悲劇を強調する ことは、もちろん誤ってはいない。しかし問題は、この悲劇の原因 —— 著者によれば、プレ ッシ ュア .グル ープ的思考様式と積極的建 設的な政策の欠 '如との ^ M — が、 あたかもこの時期の労働運動に とって .皆 ^^ にさけがたかったかのように力説‘ されていることで ある。しかし肇者は思う。社会民主主義の実践的政策の欠如ととも に、ファシズムの 到来 こそ、まことに現代社会の宿命であり、しか もこの .ファシズムの形成が、 何程 か、下からの大衆の支持の上に ( 盲 EE 的なー. ) その力を増大してゆくことのうちに悲劇が伏^ ^ して いる。资働遮動が悲劇におちいるかどうかは、ファシズムに対する この肓问的な支持から大衆をめざめさせることにかかっているので はないだろうか? ( 岩波現代叢書 I • 几 .各ニ〇〇 HZ) I ― 一 九五 九 .四.七 ------------------ • ( 飯田鼎 ) • 宇 野 弘 蔵 著'

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