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Ozaki Koyo kyokokuji shiron : The Grateful Negro tono hikaku kosatsu o toshite

Authors
Publisher
慶應義塾大学藝文学会
Publication Date

Abstract

尾崎紅葉『侠黒児』試論 : The Grateful Negroとの比較考察を通して 尾崎紅葉『侠黒児』試論 ? ?? ????? Negro との比較考察を通して- 李敏永 1 序論 尾崎紅葉の『侠黒児』(明治 26 年 6 月)は、博文館の叢書「少年文学 第拾九編J として発行された書物である。 鄭j奥生が「翻訳流行」(『早稲田文学J 明治 26 年(1893) 8 月)の中 で「紅葉がものせしエッジヲルスの『侠黒児』あり j と書き記しており、 すでに同時代において西洋文学から享受されたことが明確にされている。 この「エッジヲルスJ の書物とはイギリスの女性作家 Maria Edgeworth の ?? ????? ??? (1802)のことである。本稿では、『侠黒児』と The Grat,φtl Negro との比較考察を通して、尾崎紅葉における西洋文学受容の 一側面を考察していくことにする。 『侠黒児J について博文館は「幼年雑誌」の紙面を通して以下のような 広告を出している。 ??? 紅葉山人が筆以て一人の侠気ある黒奴の事を陳べたるものにして、 遂に此侠黒児は恩人の身代りに死して、虎の如く獅子の知く怒れる数 百人の他の黒奴の暴動を静づめるといふ、いかにも悲壮の物語也 (『幼年雑誌』第 3 巻 14 号明治 26 年(1893) 7 月 15 日) 紙に落ちたるは、著者が美文。筆に染みたるは、黒奴の熱涙、明月 ?? ? 光冷かにして芭蕉の蔭白から暗く、狩鬼の咳き且つ舞ふの時、咽々海 風に和して起る、西印度ジャメイカ島黒奴が不平の叫ぴ、不倶戴天の 白人種渠等が肉を謄にして、関醸の盃に飲まむといふO 唯此間至誠主 思を忘れざる一個の侠黒児あり。義謄餓腸、死を見る天の如く、我生 命を捧げて黒奴が不平暴動の犠牲となる、熱血熱涙の好物語 (『幼年雑誌』第 3 巻 15 号明治 26 年(1893) 8 月 1 日) 「主思を忘れざる一個の侠黒児j が「西印度ジャメイカ島J の「黒奴J の「不平暴動の犠牲となるj 梗概を、「悲壮の物語J 「熱血熱涙の好物語J として宣伝しているように、出版社側は「黒奴J と「白人種j といった人 種間の葛藤を物語る作品として読み手に知らせようとしている。こうした 人種紛争の物語としての『侠黒児j は、登場人物の名前であれ、ストー リーの展開であれ、基本的には原作の面影をそのまま残していたといって よいものである。 神田麻希子が「アフリカーイ云統と近代化-」(『ポストコロニアル文学の 現在』晃洋書房 2004.6)の中で、「黒人j をめぐる「記述には書き手の属 する社会の規範が反映されてJ おり、「完全に中立な記述など成立しないJ と述べているように、原作と翻案という関係において、「黒奴J の「暴動」 を材料にした二つの作品を記述する文学主体がイギリスの女性と日本の男 性という異なる性と国籍の持ち王であることは極めて興味深い。ここでは、 西印度ジャマイカ島の「黒人j の反乱という素材が、相異なる文学主体に よってそれぞれどのように描き出され、彼等をめぐる歴史的社会的状況と どのように絡み合いながら物語化されていたのかについて検討していきた し=。 まず、二つの作品の冒頭と末尾の記述の在処から見ておくことにするo ????????? ??Jamaica 由ere ??? ?? ????? ??? ???? ??????? 血e註 slaves?????di百erent??????? J と始まる原作の冒頭が『侠黒児』で は「西印度じゃめいか島に殖民せる、じふえりい、えどうあ〉どなる二人 。。 ??? の英人ありけり。J とあり、『侠黒児』は英文の翻案というより、むしろ翻 訳に近接しているかのように見える。しかし、こうした類似性がそれぞれ の末尾にまで受け継がれているわけではない。 「Our ????? ????? ?????? th瓜 at ??? ?? ????? ?? ????? ?? favo町 of?? ????? NEGRO.J と締めくくられている箇所が『侠黒児』 では「じふえりい夫婦は命から Jミ本国に遁帰りて後は、見る影も無く 貧窮して、人其終を知らずとなむJ と書き換えられており、末尾において 二つの作品の相違は一目瞭然である。英文の「at ??? ?? ????? (少 なくとも一つの例外)」といった敷桁説明は、おそらく、「高貴なる野蛮人 が思想的に重要な意味をもっ人物でありえたのは 1810 年までで、 1820 年 までには文学上の流行としても実質的に終わりを迎えた。J l という歴史的 背景に起因したものと見られる。このように 1800 年代のイギリスでは 「黒人J をめ

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