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Publications of War Memoirs as Paper Cenotaphs : Mass Death and the Defeat :The Meaning of Writing War Memoirs

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人文研究 大阪市立大学大学院文学研究科紀普 第63巻 2012年3月 87育-107貫 大量死と敗戦 - 「戦記もの」を書くということ一 早 瀬 晋 三 研究報舎 徴兵によって戦地に赴いた一般兵士らが魯いた 「戦記もの」は、フィリピン戦線関係だ けで1300点を超える。番かれた一国に、出征前に措いた戦没者の名誉や顕彰・慰霊と、放 牧後の冷遇の現実とのあいだに大きなギャップがあったためと考えられる。そのことを実 証するために、1300点余の 「戟記もの」の現物確認をしたうえで、目録、索引 (人名、地名、 事項)を作成し、さらに医師で詩人の丸山豊の 「戦記もの」を事例に考察を探めた。丸山 が体験したビルマ・事南戦線は、フィリピン戦線同様、激戦地で大量の戦病没者を出し、 敗戦後の収容所で現地住民から罵声を浴びせられた。その結果、つぎのようなことが明ら かになった。「紙碑」として、つぎつぎに 「戦記もの」が香かれた背景には、「玉砕」し「英 霊」として示巳られた戦没者の死を無駄にしてはいけないという「平和」への願いがあった。 しかし、これらの3つのことば、「玉砕」「英霊」「平和」が軽々しく使われることに、実際 の戦場体験者は違和感をおぼえた。「不義の戦争」のために、ろくに戦わずに無惨な病死を した者を大量に見、敗戦によってその死が「犬死に」でなかったことを説明できないだけに、 体験者は戦争のトラウマから解放されることはなかった。そして、なんとも鋭明のしよう のない罪悪感に苛まされ、それから逃れる一手段として 「戦記もの」を昏いた。 くはじめに> 2011年3月31日現在、日本の厚生労働省が把握している第二次世界大戦中の海外戦没者の概 数は約240万、そのうち遺骨帰還概数は半数強の約127万柱にすぎない。未帰還遺骨概数約113 万柱のうち、海没遺骨約30万柱、相手国の事情により帰還困難な遺骨は約23万柱、帰還可能な 遺骨は約61万柱と推定されている。これまでの遺骨帰還事業による帰還遺骨数は約33万柱で、 現在なお、政府による遺骨帰還事業が続いている1。なお、帰還された遺骨のうち約36万柱は、 引き取る遺族がいないため、千鳥ケ淵戦没者墓苑に納骨されている 〔厚生労働省ホームペー ジ〕。 1941年12月8日の 「大東亜戦争」開戦直後、日本人のだれもが戦死 しても名誉が与えられ、 遺された家族の安寧があると思っていた。しかし、大量の戦死者が出て、その多くは満足な葬 式もされず、遺骨 ・遺品もないまま戦死公報だけを受け取ることになった。さらに、「不義の 戦争」に加担したという戦後の軍隊批判の風潮のなかで世間の冷たい視線を浴び、占領軍の指 令で軍人 ・遺族恩給が廃止された。旧軍人 ・遺族は、肩身の狭い思いをしながら困窮した生活 を送ることになった。 87 早 瀬 晋 三 そのような生活に転機が訪れたのは、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が 主権を回復してからだった。同年に遺族年金が、翌53年に旧軍人の恩給が復活したのを皮切り に、戦友会や遺族会の活動が活発化した。海外での慰霊巡拝、戦没者の遺骨収集事業がはじま り、63年から全国戦没者追悼式 (8月15日)が恒例化し2、翌64年には戦没者叙勲が再開され た 〔南相九 2011〕。そして、66年から防衛庁防衛研修所戦史圭から 「戦史叢書」が公刊される と、徴兵によって戦地に赴いた一般兵士らが 「戦記もの」を書きはじめた。その数は、戦中か ら書かれたものを含め、フィリピン戦線関係だけで1300点を超える。 なぜ、このようなおびただしい数の 「戦記もの」が書かれ、出版されたのだろうかOその原 因のひとつに、出征前に措いた戦没者の名誉や顕彰・慰霊と敗戦後の冷遇の現実とのあいだに、 あまりに大きなギャップがあったためではないだろうか。また、フィリピン戦線の場合、激戦 地で戦没音数51万8∝)0(全戦没者の21.6%)を数え、大量死を見聞きし、敗戦後捕虜収容所で 現地住民の怨瞳の眼にさらされ、罵声を浴びせられたことと無縁ではないだろう3。 本稿では、とくに激戦地の 「戦記もの」の執筆 ・出版を通して、戦場体験者がなにを求めよ うとしたのかを考えるために、まず1300点余のフィリピン戦線関係の 「戦記もの」の現物確認 をしたうえで、目録、索引 (人名、地名、事項)を作成し、時代ごとに昏かれた背景を整理す る。この量的調査にたいして、つぎに質的調査として、医師で詩人の丸山豊の 「戦記もの」を 事例に考察を深める。丸山が体験したビルマ ・雲南戦線は、フィリピン戦線同様、激戦地で大 量の戦病没者を出し、とも

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