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Establishment of Legitimacy : How Could Yuan Mei 袁枚 Acquire Social Prestige in Su Zhou 蘇州 ?

Authors
Publication Date
Keywords
  • 袁枚 / 蘇州 / ネットワーク / 正統性 / 象徴闘争
  • Yuan Mei / Su Zhou / Network / Legitimacy / Symbolic Struggle

Abstract

46 ◇ 論 文 ◇ 正統性はいかに造られたか ―― 蘇州における袁枚の社会的威信の伸展 ―― 王 標 都市文化研究 Studies in Urban Cultures Vol.5, pp. 46-61頁,2005 一 はじめに 拙論「都市型知識人社会の形態」1) の中で, 筆者は「文学場」と「学術場」という二つの知 的空間を主な考察対象として,蘇州・揚州・南 京という三つの清代江南地域の中心都市を舞台 にして当時の知識人がいかに文化資本及び権力 言説をめぐって,継承と革新,模倣と創造等の 文化的パフォーマンスを演じたかを詳細に分析 した。しかし都市型知識人が都市社会構造の中 で,いかにしてさまざまな社会的紐帯を含む人 的ネットワークを広げていったか,いかにして 流動的危機的競争社会2) 状況の中で有効的に各 種の資本3) を利用して知識人「共同体」を再構 要 旨 本論は,清朝中期,蘇州における文化的正統性と文化的中心地としての地位とい う側面から,袁枚が蘇州で行った文化的活動を考察する。まず『袁枚全集』から袁 枚の蘇州での活動記録を取りあげ,交遊者を分類して,袁枚の蘇州での交遊ネット ワークを明らかにする。 ついで,袁枚は諸「同」関係に基づく社会的ネットワークを利用して「正統」と の衝突を調和し,自らの文化的統合性を維持し社会的危機を回避するために,道徳 臭芬々たる蘇州の老練な詩人たちや官界の人物と文化的パフォーマンスを共演し た事実を詳述する。袁枚が「個性・自由」の旗印の下で蘇州で行った様々な文化的 パフォーマンスは,「性霊派」の文壇での影響力を拡大させることになった。その 結果,「性霊派」成員中の蘇州籍弟子,特に女弟子が人数上で首位を占めたという 事実を明らかにする。そして道学的習気の強かった蘇州の詩壇で反道学的な袁枚が 成功を収め得たのは,様々な文化的パフォーマンスを通して,元来は歌楼酒館・園 林画舫などの世俗に属する「私的言説」を社会化することにより,また,一般知識 人の「えせ道学」に対する批判を通して朱子学を標榜する「道学先生」と真正面か ら「言説権力」をめぐって闘争することによって得られたものであったと結論づけ る。 さらに袁枚は,彼の社会的ネットワーク,とりわけネットワーク内の尹継善・荘 有恭・奇豊額のような高級官僚の身上に具現している国家権力に由来する社会的威 信を通して文化的正統性を獲得し,やがて清代中期詩壇の新しいリーダーとなった ことを明らかにしている。 キーワード:袁枚,蘇州,ネットワーク,正統性,象徴闘争 (2004年10月6日論文受理,2004年12月3日採録決定 『都市文化研究』編集委員会) 正統性はいかに造られたか(王) 47 成することによって新たな文化を創造したの か,等の問題を考察しようとすれば,いずれの 都市についても精密な事例研究をする必要があ る。 十八世紀のエピキュリアンの才子袁枚(1716 ~1797)は中国帝政晩期の都市型知識人を研究 するための絶好の事例である。袁枚は33歳の若 さで官界から引退し,南京の随園に隠居した。 悠々自適の50年間,時には随園に住み,時には 南京・蘇州・杭州・揚州の間を旅し,友人を訪 ねて「雅集」(文学芸術の集いを催すこと)した り,花柳の巷で遊興したり,妾を物色したりし た。彼が訪問した都市はそれぞれ異なる文化的 作用を彼に与えた。諸都市をめぐる旅は,彼の 多感な文学的感性と生活態度に作用し,彼の言 説に独特の<意義>と<象徴>を付与した。糸晋 紳階級の伝統的な地租収入は彼の主要な収入源 ではなく,売文行為や高利貸し資本に投資する ことによって,彼の贅沢三昧の都市生活は安定 し維持されたのである4)。 袁枚の『小倉山房詩集』は年代順に編集され ているので,詩集を通じて袁枚一生の活動を大 体つかむことが出来る。『小倉山房詩集』の中に は蘇州で書いたと判読出来る詩は合計245首あ る。蘇州は袁枚がほとんど毎年訪ねる都市であ り,詩に表現されている季節から見れば,彼が 蘇州に滞在した時間は普通1~3ヶ月間,ある年 には一年中何度も往復することもあった。もし 南京が袁枚とその「性霊説」の発信地であると 言うならば,蘇州は袁枚の交遊ネットワークの 中でどのように位置づけられるのだろうか。言 い換えれば,袁枚が蘇州で行った文化的活動を 考察する必要性は具体的にどこにあるのか。ま ず清代中期の蘇州と袁枚の蘇州での社会関係の 構造を見てみよう。 二 清代中期における蘇州文化の性格 今までの文化史研究は,明清時代の江南(特 に蘇州)の文化的中心地位

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